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help リーダーに追加 RSS Θ道草Θ〜スピーカーのはじまりは?

<<   作成日時 : 2008/05/24 15:44   >>

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スピーカーを調べていく過程で「いったいスピーカーが市場に登場したのは、いつ頃なのか」が、どうしても知りたくなった。
そこで、まずはネットで検索してみた。
例えば「スピーカーの歴史」で検索してみるとなんと400万件以上ある。
この中には私が求めるスピーカーだけではなく、所謂「話す人、演説者」が数多く存在していた。
100件近く見たが結果、私を満足させる情報にヒット出来なかった。どうも限定出来る発明者、歴史上の登場時期が明確になっていない。
そこでふとグラハム・ベルが発明したと言われる電話機を思い出した。

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グラハム・ベルはスコットランド生まれで、父はで聾唖者に発声法を教える専門家だった。
ベルは1871年にアメリカへ移住し1873年、ボストン大学の発声生理学の教授となった彼はヘルムホルツの音響理論に触れ、機械的に音声を再現する事に興味を持ち始めた。
ベルの着想は音の変化が電流の変化に変換でき、またその逆を行う事が出来れば会話を電線で伝達できるというものだった。
 1876年3月、ベルは初めて音声を彼がいうところの「波状電流」に変え、この電流を受話機の側でちゃんと聴き分けられる音声に再生することに成功。
最初の電話により伝達されたメッセージはベルが助手を呼ぶ「ワトスン君ちょっと来てくれ」は有名。このことから1876年が電流を音声に変換した最初の年である。
しかしながら、受話器による音声はどれほどの空間まで広がったのだろう。
目的が「電話」であるから一人だけ聞こえれば十分だったに違いない。
その後、電話機はジーメンスやエジソンが炭素粒を用いた、より再生能力の高い送・受話機を持つものに改良し急速に全世界に普及した。
ということは次に調べるべきはエジソンが発明したといわれる蓄音機である。

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エジソンは、1877年(明治10年)に実際に音を録音し、再生することのできる蓄音機を発明。
構造は銅製の円筒(シリンダー)に錫箔を巻き付けたものを手で回転させ、振動板に直結した録音針を錫箔に押し当てて、錫箔の変形としてつくられる溝の深さを音の強さに応じて変化音を記録。
そして、この溝を針で再びたどらせることにより、音を再生。
最初の公開でフォノグラフから再生された音は、エジソン自身の声による「メリーさんの羊」であったことは有名。
エジソンのフォノグラフはその後、電話の発明者であるベルらによって改良され、銅管に錫箔を巻き付けたもののかわりに、円筒形の厚紙の上にワックス(蜜ろう)をかぶせたものをレコードとすることで、音量の増大、寿命の向上が図られるようになった。
フランスでは蓄音機の発明者はシャルル・クロ(詩人)ということになっているそうだ。
理由は「フォノトグラフ」によって煤に描かれた音声信号の波形を何らかの方法で凹凸に変え、その上を針の先でたどり振動板と連動させれば原音を再生することが出来るという論文をエジソンの蓄音機の発表前に書いたそうだ。
しかし具体的な製作方法がなく、実際に製品にはならなかったのでフランス以外ではエジソンの発明となっている。

最近、このエジソン蓄音器がキットとして販売されている。もちろん素材は異なるが機会があったら是非トライして見たい。


エジソン蓄音機が日本に紹介されたのはかなり早く、1879年(明治12年)だそうだ。
私の関心はこの所謂ラッパでいかほどの音場を作り上げたのか、である。
実は我が敬愛する寺田寅彦先生が文章に残しているのだ。
以下に岩波文庫「寺田寅彦随筆集・第二巻」の「蓄音機」から断片的に拾い出してみる。
寺田寅彦先生が中学の頃、ある日学校の講堂に生徒が集められ文学士何某氏が蓄音機を携え実験と説明をしたそうだ。
蓄音機が発明されてから16〜17年後だそうだ。

<strong>「〜いよいよ実験にとりかかった時には異常な緊張が講堂全体に充満していたわけである。
〜文学士は吹き込みラッパをその美鬚の間に見える紅いくちびるに押し当てて器械の制動機をゆるめた。
そうして驚くような大きな声で「ターカイヤーマーカーラァヽ」と歌い出した。
〜吹き込みが終わった文学士は額の汗を押しぬぐいながらその装置をとりはずして、さらに発声用の振動膜とラッパを取り付けた。
器械が動き出すとともに今の歌がそろそろ出て来た。それは妙に押しつぶされたような鼻声ではあったが、ともかく文学士の特徴ある「ラアヽ」などの抑揚をかなり忠実に再現していたので、講堂の中からは自然な感嘆の声とおさえつけた笑声とが一時に沸きあがった」

しかし先生の蓄音機に対する印象は良くなかった。
「蓄音器のラッパというものは私にはあまり気持ちのいいものではなかった。
器械全体の大きさに対してなんとなく均衡を失して醜い不安な外観を呈するものである。
一寸法師が厖大なメガフォーンをさしあげてどなっているような感じがある。
これが菊咲き朝顔のように彩色されたのなどになるといっそう恐ろしい物に見えるのである」

その後、先生は蓄音機にたいして多少印象も変わり、自宅にも蓄音機を購入されるのだが本質的にはお気に召さなかったようだ。
そして先生は随筆を次の文章で結ぶ。
「蓄音機に限らずあらゆる文明の利器は人間の便利を目的として作られたものらしい。
しかし便利と幸福は必ずしも同議ではない。
私は将来いつかは文明の利器が便利よりはむしろ人類の精神的幸福を第一の目的として発明され改良される時機が到着する事を望みかつ信ずる。
〜もしこの私の空想が到底実現される見込みがないという事にきまれば私は失望する。同時に人類は永遠に幸福の期待を捨てて再びよぎる事なき門をくぐる事になる」


この随筆は大正11年4月に東京朝日新聞(現在の朝日新聞)に掲載された。
寺田寅彦先生は現代の音楽再生機及びそれらの音、文明の利器をどのように見られるのだろうか。
やはり最後の文章を書かれるのだろうか。

さて、先を急ごう。
以上の事から1876年に電流を音声に変換するいわゆるマグネチックスピーカーが誕生したと捉えてよいと思う。さらに改良されたダイナミック型は、いつごろから登場したのだろうか。
ここで一冊の本を思い出した。書棚の奥に眠っていたのが「アマチュアのラジオ技術史」というめずらしい本である。

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この本は豊富な資料に基づき日本においてラジオ放送が開始された1925年3月以前から、いかにしてアマチュア達が電波を捉え再生していかを1961年までの様子を描いたものである。
奥付けの年から10年以上経てから購入したと記憶している。もちろん新本として。
いま気が付いたが、昔は本の寿命が長かった。
現代は、すぐに廃刊になる。
で、この本はなかなか面白くついつい久々に読み耽ってしまった。
本論に入る前に、せっかくだから最初の部分を以下に転載する。これはNHKの本放送が開始される以前の出来事である。

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先にも書いたが正式なラジオ放送の開始は1925年3月であるが、我が国最初のラジオ放送は1921年9月2日だそうだ。
さらに1924年に両国と日比谷公園にスピーカーをつけて聞かせたそうだ。
ここで言うスピーカーとはどんなものだったのか。
非常にきにはなるが詳細は不明。
それにしても上記の本文を読むとわかるが1923年4月に創刊された「科学画報」9月の記事である。
すべてが手作りを前提にしている。
訳本を下敷きとしているようだが、きっと筆者は製作したに違いない。
しかもバッテリー、受話器、真空管などはそれぞれ「素人が製作するのは難しいから」とことわっているのがすごい。
真空管を使った受信機であるから、すでに真空管のメーカーは4社あったようだ。
しかしアマチュアは、どういうところで入手したのだろうか。
また聞くのは絵にもあるようにスピーカーではない。

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上の画像は1923年「科学画報」に掲載された広告である。
元々の画像が不鮮明なので判然としないが二段目の中央、及び三段目の右のものは「ラッパ」と思われる。
少なくとも形状からみてスピーカーではなさそうだ。

さらに上の画像は1924年の広告である。これもラッパである。それでは当時、日本にスピーカーが存在しなかったかというと、そうではないようだ。増幅器やスピーカーを含めると百円くらいして、とても一般人には入手不可能だったようだ。そこで例の「科学画報」に様々なアイデアの記事が登場する。
下の画像は受話器にホラ貝をマウントする方法である。
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他には茶碗、どんぶり、コーヒーカップを利用する方法などあったようだ。
どうやるかというと、底の方へ箸を切って井形に組み、受話器を伏せて置く。
この方法で4〜5人は聞けたそうだ。

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上の画像も不鮮明だが受話器に聴診器のようなゴム管をつけて複数で聴けるように考案された商品である。
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上の画像の左の広告はホーン型で当時はやはり、これが一般的だったようだ。
右の広告は1931年で右側下はマグネチックスピーカーで基本は輸入だったようだが、国産も続々出回ってきたそうだ。

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上の画像は1931年頃の広告で下のスピーカーは国産である。
さらに下の広告は松下電器製作所(現、松下産業)の広告。
このころ既に「ナショナル」のブランドが使用されていた。

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以上のことから推察すると本放送が開始された1925年の前の年にはすでに日本にダイナミックスピーカーが存在していたようではあるが、高価で一般的ではなかった。
そして27年頃には国産化され、1931年頃には一般化したのだろうか。
この点は、いま一つはっきりはしない。
そこでNHK博物館(私は、ここが大好きで都合5回くらい通った)のHPや真空管ラジオのサイトをあたってみることにした

以下の画像は「アンティークラジオ展示会」というHPから拝借したもので、1932年に松下から販売されたラジオである。幸いにスピーカーを認めることが出来た。
おそらく、このころはマグネティクスピーカーが大分一般的になったと想像できる。

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(http://www.geocities.jp/antique_radio_exhibition/index.html
下の2種類はNHK博物館のHPから拝借した画像である。
本文も転載する。

[日本無線V-11型 電池式 5球ニュートロダイン受信機(1924)]
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1924年(大正13年)、ギルフィランのニュートロダインを手本に作られた。
 3個の同調ダイヤルが、それぞれ内部のバリコンにつながり、その後ろに鮮やかな緑色の線を巻いたコイルが並ぶ。この大きなダイヤルを交互に調節して同調を取る。
 回路が簡潔で部品の設計も良く、しかも作りやすいというので、日本ではギルフラン型のコピー製品や製作キットが次々に登場した。

スピーカーのことには残念ながら触れられていないが、外観から推測するとスピーカーは、やはり装備されていなようだ。
[ジュノラ 6A型 6球スーパーヘテロダイン受信機(1925)]
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RCAのライセンスを受け、スーパー7をお手本に製作。
 ループアンテナを取り付けた、当時の国産高級機で、角型1.5V電池2個、積層45V電池2個、90VB電池1個を使用。スピーカーはRCA社UZ1325型ラジオラウンドスピーカーに適合。 東京電気からTECの商標で販売された

「ラウドスピーカーに適合」ということは、きっとスピーカーは内臓されていないのだろう。

以上、総合的にみるとマグネティクスピーカーが一般的になったと思われるのは1930年ころなのか。
この件は、これくらいにしておく。
命題からははずれるのだが、どうしてもまとめておきたかった。

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内 容 ニックネーム/日時
はじめまして。「真空管ラジオ」で検索し辿り着きました。昭和30年代の真空管ラジオを中心にコレクション・修復して楽しんでいます。今回、大変興味深い記事に読み入ってしまいました。
ラジオカフェ店長
2008/05/27 05:39
出張から今しがた帰着しました。弊店におこしいただきありがとうございます。またお申し出をいただき痛み入ります。
メールアドレスは radiota@mail.goo.ne.jp となっています。ご連絡をお待ちしております。
ラジオカフェ店長
2008/05/29 00:41

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