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ヒトは、なぜ 「くっつける」 のか?

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ヒトは、なぜ 「くっつける」 のか?
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「くっつける」という根源的なヒトの行動原理を
追求することで、ヒトはいかに生きてきたか?
そして、いかに実存していくべきか?
を論ずる異色なブログ!



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★★★★★お休み宣言★★★★★

2011/10/17 21:21
本ブログは暫くの間、お休みします。
大命題である『ヒトはなぜ「くっつける」のか』に
関しての私自身の仕事を含めた諸活動は継続中です。

次が何時になるのか?
どのような内容でブログに展開出来るのか?
全く不明ですが、これまでに12,018回アクセスして
いただいたことに深く感謝いたします!
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Δ道草Δ 「朝日ジャーナル」が懐かしい!!!

2011/09/10 21:33
先ほど、TVを観ていたら、ニュース速報が流れた。
10年前米国での9.11が起きた前日でもあり、
テロ計画があるとの情報も流布していたので、何事かと思いきや、
鉢呂吉雄経済産業相の東京電力福島第1原発事故に絡む
不適切な発言の責任を取るとして辞表を提出し、
受理されたという内容。

今月の6日から9日まで韓国旅行に行っていたので、
詳細は把握していないが、
この種の「事件」をあたかも「大事件」が起きたかのごとく、
ことさら大げさに取り上げるのは、
もういい加減にして欲しい!!!

もちろん軽はずみなことや、ふさわしくはない表現や比喩を
熟慮せずに使用する政治家も、どうかと思うが。

しかし、である。
無自覚な政治家が多いからこそ、
せめて報道くらいは根幹を見据えた視点に立つ
問題提起や主張をしてもらいたのだ!!!

過去は振り返りたくないが
「朝日ジャーナル」が懐かしい!!!

去年、中央ヨーロッパへ行った時も
そして今回の韓国でも、TVのニュース番組をよく観た。
どの番組も日本を取り上げたものはなかった。
それは日本に「大事件」が起きていない証拠であり、
安心はするのだが・・・・。

しかし見方を変えれば国内であたかも「大事件」が
起きたがごとく流されるニュースが、
如何に些細でくだらないことか!!!

私は
ニュースも観たくない!
聴きたくもない!
読みたくもない!

それ以上に
政治と政治家には反吐が出そうだ!





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д道草д 文明というソフトウェア

2011/05/15 09:11
20011年3月11日の大地震と大津波による東日本のおびただしい被害。
そして副次的に起きた福島第一原発事故。
日本は大きなダメージを受けた。

今回の震災・津波・原発事故は、
私たち「ヒト」が今後、いかに生きていくべきなのか?
が問われているという視点で捉えるべきだろう。

第一原発の完全・安全停止、そして大地震と大津波からの
1日も早い復旧・復興が望まれる訳だが、
それは単に物理的、物質的、エネルギー的なことではなく、
「文明」という新たなソフトウェアを構築していかなければならないのだ。


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言葉「くっつける」を探る<その19>「古事記」を探る@

2011/04/23 15:42
現代において使用されているか、あるいは常用漢字の中に
含まれているか否かに関わらず私が考える「くっつく・くっつける」概念に入る漢字を抽出し、
さまざまな角度から考察してきた。
そのプロセスの中で、常に抱えてきた知りたいことが浮上。

画像

このことを、少しでも解決するには、やはり漢字がどのようにして伝来したのか、
そして文字を持っていなかった大和言葉に組み入れてきたかを改めて調べる必要がある。

まず、使用するテキストは
「日本語はいかにつくられたか?」(小池清治著、2003年第5刷 ちくま学芸文庫)である。
タイトル「漢字の衝撃」から興味ある部分を以下にピックアップする。

漢字伝来以前、「神代文字」があったという説があり、平田篤胤が
「神字日文伝」などを神代文字で表しているというようなことあるが、これは後世の偽作だそうだ。
結果、現在ではやはり大和人は、文字はもっていなかったということが定説となっている。
ところで古代、大和人が漢字に接触した時、どんな思いを持ったのだろうか。


「まず漢字は馬とともに日本へ伝来された」
「当時、漢字の位置は馬よりも低かった」

と書かれているが、その真意はともかく
「応神天皇15年(絶対年代未詳、
4世紀末〜5世紀初頭?)、百済の国王が良馬2匹(を天皇に送ったくだりが
「日本書紀」に書かれている。
「百済の王、阿直伎(あちき)を遣わして、良馬2匹を貢る〜阿直伎、
亦の能く経典を読めり〜」

応神天皇が偉かったのは阿直伎を自分の息子の家庭教師をさせたに止まらず、
漢字の有効性を洞察し、さらに漢字の先生を呼び寄せている。
漢字を伝えたとされる、もうひとりの人物「王仁」という学者がいる。


『日本書紀』によると、
王仁は百済王の使者阿直岐(あちき)という学者の推薦を受け、
応神天皇の招待に従って応神天皇16年2月に百済から渡来し、
菟道稚郎子皇子の師となり、後に帰化した学者である。(ウィキペディア)


日本書記にも馬とともに和邇吉師(古事記での表記)が渡来したことが
記述されているようだ。
しかし例えば「漢倭奴国王」の文字を刻んだ金印などでも明らかなように、
漢字そのものの伝来は西暦1世紀頃というのが定説のようだ。
本書では漢字のいわゆる「伝来」と「伝承」には年代的に大きな隔たりがあることを強調している。
そして、この隔たりが一体何を意味するかである。さらに本書では
野村雅昭という人の論文を引用しているが、その要点を以下のようにまとめている。


「受け入れ側、即ち日本の「政治・社会的条件」が整っていないかぎり、
いくら外から漢字が入って来ても、それは機能しない。
応神天皇による「統一王朝」までは、そのような条件が整っていなかった。
日本人が日本語を文字を用いて書き表すようになるのは
飛鳥時代、推古天皇(554〜628)の時代までさかのぼる」


「日本書紀」に「天皇記」「国書」を記したことが書かれているが、
これらは現存していない。
漢字を学ぼうとしていた時代が4〜5世紀頃で、使用しはじめた
年代が推古天皇の時代、つまり6世紀中〜7世紀だから、
そこには約200年くらいのブランクがある。
そもそも応神天皇は何を目的としていのか。
「日本書紀」に注目すべき記事が掲載されているそうだ。


「二十八年の秋九月に高麗の王、
使いを遣して朝貢る。因りて表上れり。其の表に曰く、
「高麗の王、日本国に教ふ」といふ。
太子菟道稚郎子(ひつぎのみこうぢのわきいらつこ)、其の表を読みて怒りて、
高麗の使を責むるに、
表の状の礼無きことを似てして、則ち其の表を破つ」


応神天皇が欲しかったのは語学力である。
自分たちよりはるかに高い文化や政治体制を保有している国から、
多くのことを学び自国に生かしたいと思うのは、ごく自然なことである。
その一歩としては中国語が読み書きや話が出来る多くの人材を育てるのも自然の流れである。
そして本書を読み進んでいく中で太安万侶が46,027文字ある「古事記」をわずか4ヶ月で仕上げたことを知る。
なぜ、このような短時間で大業が成就できたか。
その第1の理由は、30年ほどの歳月をかけて用意された資料が存在していたのだそうだ。

以下は「古事記・上巻・二 天武天皇と古事記の企画」の訳文。出典は「古事記 全訳注」 (講談社学術文庫)


「〜ここに天皇詔りたまはく、
「朕聞く、諸家のもてる帝紀及び本辞、既に正実に違ひ、多くの虚偽を加ふと。
今の時に当たりて其の失(あやまり)を改めずば、未だ幾年をも経ずして其の旨滅びむとす。
これすなはち邦家の経緯、王化のコウ(漢字がない)基なり。故、これ帝
紀を撰録し、旧辞を討覈(たうかく)して、偽を削り実を定めて、
後葉(のちのよ)に流(つた)へむと欲ふ」とのりたまき〜」


要するに「帝紀」「本辞」という下敷きがあった訳である。
そして第2の理由は、優秀な協力者がいたことである。
上記の訳文に続く



「〜時に舎人有り。姓は稗田、名は阿礼、年はこれ二十八。人と為り聡明にして、
目に度(わた)れば口に誦み、耳に払るれば心に勒(しる)す。
即ち阿礼に勅語して、帝皇の日継及び先代の旧辞を誦み習はしめたまき。
然れども運移り世異(かは)りて、未だ其の事を行ひたまはざりき」


引き続き太安万侶の文字変換に関する苦労を引用。
以下は「三 太安万侶の古事記撰録」の一部分である


「〜然れども上古の時は、
言(ことば)と意(こころ)と並朴(みなすなほ)にして、文を敷き句を構ふること、
字に於きて即ち難し。
己(すで)に訓によりて述べたるは、詞心のおよばず。
全く音を似ちて連ねたるは、事の趣更に長し。
是をもちて今、或いは一句の中に音訓を交へ用い、或いは一事の内に全く訓を以ちて録す。
即ち辞理の見えがたきは、注を以ちて明かにし、意況の解(さと)り易きは更に注せず。
また姓に於きて日下(にちげ)を玖沙訶(くさか)といひ〜」


ここで再び「日本語はいかにつくられたか?」(小池清治著、2003年第5刷 ちくま学芸文庫)の解説を借りる。

「稗田阿礼によって語り伝えられた上古の時代の伝承は
「言」と「意」がともに素朴であり、
文字(漢字)を用いて文章化するのは困難である、と安麻呂は考えている。
彼は、言語表現を、まず「言」と「意」に分ける。
「言」とは言語の形態、特に音声的形態を意味するであろう。「意」とは言語に託される内容、
即ち「意味」のことである」


引用はきりがないので、このあたりで止めるが、かなりの苦心作であろうことはよくわかる。
ここで、私は思い立ったのである。
つまり、
「古事記」を調べたら、私の知りたいこと。
つまり「どのような創造力をもって大和言葉に漢字を組み入れたのか?」が分かるかもしれない、
という無謀な考えが湧き出たのである。
とはいえ、いまさら「古事記」とがっぷり四つに組む能力などはない。
そこで私のテーマである「古事記」の中で私のカテゴリーである
「くっつく・くっつける」の漢字がどのように使用されているかが、だけに注力することにした。
このカテゴリーに入る漢字がどう使われているかと思うだけでも、ワクワクする。
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Ψ道草Ψ 私は・・・・・悲しい!!!

2011/04/16 22:01
私は、本当に悲しい!!
日本は2度も被爆しているのに・・・・・
私は被爆家族なのに・・・・・
なのに福島第一原発の事故で、
海水に、大気に莫大を放射線を・・・・・
世界中に・・・・
この地球に拡散させてしまって・・・・・
私は本当に悲しい・・・・・
今となってはとにかく、
日本の英知を、技術を
そして日本の現場力を
結集して解決して欲しい・・・・・

でも、いまは私は、本当に悲しい!!!
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言葉「くっつける」を探る<その18>Aもじり編み機から原始機へ?

2011/04/13 10:17
さて、私の頭脳に閃いた『「もじり編み機」から
「原始機」へ技術が移行』が果たしてあったのだろうか。
あるいは「原始機」は、「もじり編み機」とは起源を異なるモノなのだろうか。
経糸の処理方法は「もじり編み」は1本ずつ、
「原始機」は複数同時処理である。
現代においては1本ずつの単独処理よりも、
出来るだけの多くの経糸を一括処理したいと思うのは、
私だけではないだろう。

しかし古代人の中に可能な限り「大量に、速く」などという
合理性の概念が根付いていただろうか。

「もじり編み機」を作製する以前は、
随分と根気を要する作業だ、と思っていた。
しかし実際にトライしてみると、
以外にスピーディーに捗ることに驚いた。
その観点から見れば「もじり編み機」が「原始機」へ
技術的に移行したというのは、
あまりに決めつけ過ぎるのかもしれないのだ。
というようなことを念頭に「もじり編み機」の改良を試みる。
数週間、考えたすえ「もじり編み機」を以下のように改良した。

画像

台座の横幅の両端部付近の左右に
緯糸を持ち上げる「原始機」でいうところの
「綜絖」を2本取り付けた。
「綜絖」の一方は奇数列の緯糸を、
もう一方は偶数列を持ち上げる目的である。
「綜絖」は円柱木に刻みをいれて、タコ糸で経糸を結んだ。

緯糸を通す用具、
つまり「原始機」の「緯越具」に相当するものは割り箸で代用した。
割り箸に経糸を挟む。

画像

上の画像は奇数列の経糸用の「綜絖」を持ち上げた様子である。
下の画像は奇数列の経糸の「綜絖」を持ち上げた状態で、
「緯越具」の代用である割り箸を通したところである。

画像

下の画像は緯糸を通した状態である。
このままでは、とても編み物とは言えないので、
「原始機」の緯打具、つまり緯糸を隙間なく一直線に整列させるモノは用意しなかったので、
さらにその下にある画像のように手で整えた。

画像

画像

下の画像は緯糸の端部を割り箸に挟むことで
テンションをかけている様子である。
さらに緯と割り箸の間に白く見えるのは接着剤である。
これはテンションがゆるまない為の措置で、向こう側の端部も
同じ処理を施している。

画像

下の画像は完成品である。どうも出来映えは「もじり編み」の方が
数段良い。

画像

改良型もじり編み機での作業は決して簡単なものではなった。
その大きな要因は下図でモデル化しているように奇数列の経糸と
偶数列の経糸を別々に処理しなければならない関係上、緯糸が
極めて通しにくいという点である。

画像

残念ながら、とても「もじり編み機」より、
楽になったとは言えない。
さらに出来映えも著しく劣る。
私の工夫が足りない要因が大きいが、
とても「もじり編み機」から「原始機」へ変化したとは言い難い。
やはり技術の流れの源は違うのだろうか。

中途半端な結論で、このテーマはエンドとする。




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言葉「くっつける」を探る<その17>@もじり編み機から原始機へ

2011/04/07 15:37
「もじり編み機」と「原始機(織り機)」の間には、
技術的な関連性があるのだろうか、
あるいは全くその源流は異なるのだろうか。
私の関心事は専ら、本テーマから外れて「もじり編み機」と
「原始機(織り機)」の関連性の有無に移行してしまった。
一般的に技術の変化や向上は不連続で、
唐突には起き得ない。
必ず、前身となるべき技術が存在している。
一見するとカタストロフィー的であっても、
過去の技術と現在の技術は繋がっている。
ただし、あまりのも多くの時間が経過してしまうと、その繋がりは、
見えにくくはなる。
私の好奇心騒ぎ出し、どうしても検証をしてみたくなった。
まずは「もじり編み」である。
ホームセンターからダンボールを入手し、
木片を100円ショップで購入。
以下のような「もじり編み機」が約1週間程度で出来上がった。
画像

ところが、
落とし穴が思わぬところに潜んでいた。
それは経糸用の重りを、どうするかである。
重りを作るにしても少なくとも20個以上は必要で、
例えば円柱の木材をカットするという方法もあるが、極めて面倒である。
手軽なのはおそらく石を重りとして用いること思うのだが、
現代社会では入手困難。
近くの川へも出向いてみたが、
石そのものが転がってはいない。
ホームセンターに出向き、ガーデン用の石で使用可能なものはないかと見て回ったが、
都合の良い大きさと量のものが、あろうはずがない。
途方にくれて店内をうろちょろしていると、
ふと目に留まるもがあった。
それは太目のボルト用ナットである。
これだ!と思った瞬間、頭の中が晴れやかになった。
1箱12個入りを2箱購入した。
画像

さっそく糸を張る台に12本の溝を作り、
下の画像がその成果である。
因みに左右に写っているボルトが経糸のおもりである。
やって見ると、以外に短時間で簡単に出来てしまった。

画像

次に糸を張る台の巾をもっと広くしてみた。
それが下の画像である。
なお書き忘れていたが使用している糸は100円ショップで購入した毛糸である。

画像

画像


さて、ここまでは順調にきた。
いよいよこの次が本番である。
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